「正しく!」
これが一番難しい。
正しさってなんですか?って話で、正しくいきましょう。の正しく。ってなんですか?それは時代によって正しさなんてかわるじゃあないですか?って話なんですけど、
今から2500年以上前にお釈迦さんがね、
「人間は、ほんとうに真理に合った正しい生き方をしさえすれば、客観的には苦のなかにあっても、それを苦と感じなくなります。」
って言ったわけですよ。
何それ!?知りたいんですけど!生きてたら苦しいことだってあるし、というか、お釈迦さんも、生老病死、生きること、老いること、病気になること、死んでしまうこと、生きてたら苦しいことから逃れられないじゃん!何この絶望的な運命!そんなのやだよーー!そんな苦しみの中で生きてくのやだよーー!!
苦しさから解放される方法ないのかよーー!!を知りたくて一国の王子だったのに全てを投げ出して出家してますからね。
漢方の勉強したり、心理学の勉強したり、哲学の勉強したり、メンタル的な勉強をしてると、お釈迦さんの言葉に触れたくなるんですよ。
そして、脳科学でこういうことがいいとされてます。みたいなことがわかりました。って出てきたものの中には、これってお釈迦さんが言ってたことと通ずるよね。みたいなことがあったりするんですよね、結構。
なので、仏教の世界にどっぷりってわけでもないですが、哲学としてのお釈迦さんの考え方が好きで、時々、お釈迦様の教えに触れております。
そしてタイトルに戻ります。
「自分のことを正しく理解するって難しいよね。」って話です。
自分が思ってる自分像と、周りが思ってる自分像って違ったりするじゃないですか。
これが完璧にイコールな人って超絶まれだと思うんですね。
多少のズレはあって当然だと思うんですよ。
ただ、乖離しすぎててもしんどくなるので、離れすぎるのは辛いと思います。
自分が思う自分と、周りが思う自分には、少なからずのズレがありますね。
さらに、自分が思ってる自分の能力値と、本来の自分の能力値。ここにも差が生まれるじゃないですか。
自分はコミュニケーションは上手じゃないと思ってる。人付き合いは苦手な方だと思ってる。
でも、周りの人は、あなたはコミュニケーションが上手だというし、友達も多いという。でも本当に心を開いて話をしてる人は数人もいない。みたいな。
自分の能力値を自分で正確に把握しておくって、自分には何ができて、何ができなくて、どういうことが得意で、どういうことが苦手で、っていうこういうの知っておくのって何かをする上で超絶大事じゃないですか。
でも、人間はそれが正確にできないようになってますよね。
そして、それは、ほとんどが、自分を過小評価することで落ち着かせていると思うんですよね。
「あなたコミュ力高いよね」
「えーーー全然そんなことないですよ!!これぐらいのこと誰でもできますよ!」
「いやいや!できませんよ!それはすごいことですよ。」
「いやいやいやいや。僕よりすごい人なんていくらでもいるでしょ!僕なんてその人から比べたら足元にも及ばないですから。」
「いやーすごい人はいますけど、私からみたらあなたもそっちの部類の人間ですけど。」
「いや!そんなことないですよ。全然。むしろ苦手だと思ってます。」
みたいな。
頑なに認めないみたいな。
自分がもともと得意なこと、自然にできることって努力した感がないから、当たり前でしょ?これぐらい!できるでしょ!誰でも!!って思ってるんですよね。当たり前すぎて。
それが一番すごいんですけどね。なかなか気づかない。
周りから言われても、気づかない。
そして、自分の評価は低めにつける。みたいな。
それよりも、自分ができないことをできているあの人の方がすごい!って言い始める。みたいな。
この自分の位置を正しく把握するって、
自分では把握できにくいので、自分で思う自分を見つけながら、他人の声をもらいながら、自分という輪郭を作っていく、そして、自分の位置を正しく測っていくことが大事だなぁと思います。